今日も、学校の坂道を歩いて登校をしている。
3年生、2年生も、なんだか、11月も下旬となり、受験モードになってきた。
3年生の中には、既に、総合型選抜や学校推薦で合格をしている生徒も出始めてはいるが、合格後も、一般受験生もりることもあり、大学への準備として、勉強を続けているようだった。
さやかは、医学部に向け本格的な勉強をスタートさせていて、ほとんど会うことはなく、僕は、未だになにをやるのか、将来が決まらず、ただ一人、見えない坂を上っている心境だった。
ふと、マスターが、大学を中退したことを思い出した。今でも、何をやりたいのか、探してる、っていってたかな。
誰もが、その時のベストの答えを見つけ、あるいは、ベストの答えと信じて、自分の進路を考えているんだろうな。
でも、やっぱり、その一度決めた進路だとしても、途中で迷ったり、場合によっては進路を変えたり、投げ出したりすることもあるんだろうな。
昭和の時代なら、あきらめるな、我慢しろ、すぐ慣れる、もう少し待ってみよう、と根性論丸出し、ということになるんだろうけど、令和にもなると、日本伝統の終身雇用は崩れてきているし、1度きりの人生、何度でも挑戦したり、自分に合った仕事を探すこともあるんだろうな。年齢を重ねることに、価値観も変わるし、もしかしたら、歳をとると、保守的になって、昔はよかった、とか、何であんな選択をしたんだろう、なんて考えることもあるかもしれない。
一方で、なぜ、あの選択をしなかったのか、今、動くときなんじゃないか、と考えることもあるだろう。それは、若い時でも、中堅でも、ベテランでも、変わらないのかもしれないけど。
結局、坂道の向こうの景色は、わからない。もしかしたら、下り坂かもしれない。でも、下り坂のもこうには、もっと高い山があるかもしれない。
こういう時、過去を振り返らず、将来も考えず、今を生きれば大丈夫!ということなんだろうと思う。あれこれ考えても、自分でコントロールできなことは、悩んでもしょうがない、という言葉もあるし。でも、人間は、弱いから、何か、根拠のない自信や言葉がないと、前に進めないこともあるしな。
そんなことを考えながら、結局、誰かに背中を押してもらいたい、誰かに決めてもらいたい、失敗したらその人に生にすればよい、のような考えに陥っている自分にも気づいていた。
余計なことばかり考えていると、一日は、あっという間だった。
下校時間になり、また、いつものように坂道を下って、カフェに向かった。
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